黒と白の村 14

 僕は冷たいタオルを絞り、ミーシャの額に乗せた。彼女はそのひんやりとした感覚に少し目を細めたように見えた。
「前は私がエルスを看病してたのになあ。なんか悔しい」
 ミーシャはそう言うと大きく溜め息をついた。たまには僕だってしっかりしているところを見せたいのに。僕は仏頂面で反論する。
「いつも僕が世話されていたんじゃ格好悪いよ」
「えー、格好悪いって今更?」
 しかし、ミーシャの容赦ない切り返しに僕は返答に詰まった。ああもうミーシャには敵わない。僕は格好を付けることを諦め、弁明を始める。
「僕だってプライドってもんがあるんだから――」
「あっ、そうだ」
 僕の台詞を遮り突然声を上げると、ミーシャは布団から跳ね起きた。しかし、まだ傷が痛むのだろう、顔をしかめて布団の上からお腹を押さえる。
「ミーシャ、大丈夫?」
「それより、エルス。コニン族の人に殴られたんでしょ? 大丈夫なの?」
 肩に置いた手にミーシャの左手が重ねられる。見上げた青色は僕を非難しているようだった。
「あー……」
 どうしてそれを彼女が知っているのか、という疑問が浮かんだが、あの二人のどちらか――状況からするとトウダさんがミーシャに告げたのだろう。
 あのときの出来事を思い出すと頭が痛くなるため、僕はしばらく腹部の傷を見ないようにしていた。幸いにも痛みはすぐになくなり、僕はさっきミーシャに言われるまでそのこと自体を忘れていたのだ。でも、コニン族の人に暴力を受けてからしばらく経ったのに、今また頭の奥を刺されているような痛みが僕を襲う。
 それを隠すために僕は笑顔を浮かべて顔を繕った。しかし、彼女は口元にだけ浮かんだそれを悄々とした表情で見つめ、視線を落とした。
「私のせいだね」
「なんで? ミーシャは悪くないよ」
 あの人に殴られたのは、僕がティア族だったからだ。そう続けようとした僕に、ミーシャは強い瞳を向けた。
「なら、エルスも、私が怪我したのは自分のせいだなんて言わないで」
 その言葉に僕ははっとした。彼女もきっと僕と同じことを思ったのだろう。
「……うん」
 俯くと、僕の拳は固く握られていた。
 同じ人間なのに、どうしてこんなにも僕たちは相容れないのだろう。この髪の色は僕とミーシャが違う存在であることを突き付けてくる。
 僕が長く嘆息したそのとき、勢いよく扉が開け放たれた。素早くそちらへ視線を走らせる。
「ミーシャ、エルス!」
 扉の向こう側にはトウダさんが肩を上下させながら立っていた。彼は僕たちの姿を認めるとほっとしたように息を吐いたが、すぐに表情を引き締める。
「大変なことになりました」
 トウダさんの顔は青ざめている。彼らしくない慌てた様子に、僕は椅子を立ち上がった。
「どうしたんですか」
 僕の言葉に彼は一瞬ためらい、少し思案した後ゆっくりと口を開いた。
「父上が殺されました」
 その言葉は一瞬僕の意識の上をなぞっていった。瞬きを二度して、僕はやっと意味を飲み込んだ。
 どうして? さっきまで一緒にいたのに。あれだけの間に何があったっていうんだ。そして浮かんだのは、あの男の姿だった。村長が呼んでいると言ってラジアンさんを連れ出した彼は何を持っていた?
「トウダさん、僕、きっと犯人がわかります」
「いえ、犯人はわかっているのです。しかし……」
 駆け寄った僕にトウダさんは答え、視線を床に落とした。
「今のこの村では、父上はティア族に加担する異端として扱われているのです。あの男は制裁だと主張しています」
「そんな」
 零れた言葉は僕のものだったのか、それともミーシャのものだったのか。
「彼の主張を村長が認めている以上、わたしたちには何もできません」
 その声は震えていた。悲しさ、悔しさ、彼の感情は読み取れない。それでも、トウダさんが今必死に平静を保とうとしていることはわかった。
「あなたたちのことも村中に知れ渡っています。村の者に見つかる前に逃げなさい」
「でも……なら、トウダさんも逃げないと」
 そう言いながらミーシャはベッドから降りた。しばらく眠っていたせいで力が衰えていたのだろう、彼女は一瞬体をぐらつかせたが、すぐに体勢を立て直す。
「今はあなたたちの方が危ないです」
 こんなときでさえ、トウダさんは僕たちの身を案じている。彼がラジアンさんの訃報を耳にした後、それを知らせにここまで来るだけでもどれだけ大変だったか想像は難しくない。
「あなたたちが共に暮らすというのなら、この村――いえ、この森にいるのは危険です。一刻も早く逃げてください」
 そう言いながらトウダさんが差し出したのは、真っ黒いローブだった。僕はそれを目深に被って髪を隠す。ミーシャは手際よく銀髪をくくり、ローブを羽織った。小屋の扉を開けたトウダさんは目の前に広がる木々を指した。
「ここから真っ直ぐ降りていけば森を抜けるはずです。そこから先に何があるのかは、森を出たことのないわたしにはわかりません」
 だから、とトウダさんは続けた。
「その先を切り開くのはあなたたちなんです」
 彼の台詞が示すのは、この森を抜けた後の道程のことだけではない。
「トウダさん、今まで本当にありがとうございました」
 頭を下げるとローブに紛れて自分の黒い髪が視界に入った。この森を出たら僕は黒色の髪に誇りを持てるようになるだろうか。当然のようにミーシャと一緒にいられる世界が待っているだろうか。
「またどこかで会えるといいですね。でも、会わないことを願っています」

 しばらく歩いた後、僕たちは後ろを振り返った。木に隠れて僅かしか見えなかったが、トウダさんはまだ立っている。その背後に剣を手にした白髪の男たちが迫っているのを見るなり、僕はミーシャの手を取って走り出した。
 さようなら、ごめんなさい。
 その呟きは走り続ける僕に付いてくることはなく、森に取り残される。

 そして、僕たちは生まれ育った森を後にしたのだった。