交錯する街 01

 森を抜けた僕は後ろを振り返った。そこはさっきまでの出来事が嘘だったかのようにしんと静まり返っている。追手が来ている様子はない。
 前に向き直ると荒涼とした砂地が広がっていた。村にあった小屋のようなものもなく、砂地のあちらこちらに点々と天幕が張られている。時折風が吹くと白い砂が宙へと巻き上げられる。僕は初めて見るそれを前に立ち尽くしていた。
「どこに行けばいいのかな」
 日は地平線の向こう側に沈もうとしていた。地は朱に染まり、僕たちに迫りくるようだ。
 不毛地帯は視界の限りに及び、遠くに目を凝らしても砂で霞がかっている。見た限り、どこに何があるのかなどわからない。砂が喉に入り、思わず咳き込む。
 ここは、想像していたよりもずっと死んだ世界だ。もしかしたら森なんて出ない方がよかったんじゃないかという考えがよぎってしまう。森の外に出たはいいものの、僕たちはこの辺りに関する知識も身を守る術も持っていない。それを身をもって知らされているかのようだった。
「この辺りの人に聞いてみようか?」
 しかし、ミーシャはちょっと散歩にとでもいうかのように恐れる様子もなく天幕へと近づく。
「ミーシャ、待って」
 慌てて後を追いかけると、ちょうど中から一人の男が出てきたのが見えた。ミーシャの足が止まる。彼は僕たちに気付き、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「こんなところで何をしているんだ?」
 想像していたより低い声が投げ掛けられる。その声は僕が思っていたよりも優しげだったが、彼の表情を窺い知ることはできない。妙な布で頭と顔の一部を覆っていて、見えるのは目くらいだからだ。身長は父さんより高いくらいだろうか。
「私たち迷ってしまって……」
「一体どこから来たんだい」
「あの、あっちです」
 ミーシャは言いながら森を指す。そんなことを馬鹿正直に言っていいのかと心の中では思うけれど、声に出して咎めることもごまかすこともできず、僕は無言で浅く頷いた。
 男は思案する素振りを見せた後、溜め息をついた。
「それは他の人には言わない方がいい」
「どうして――」
 尋ねようとしたミーシャを手で制す。この空気を僕は知っている。ミーシャに会うより前、まだ村にいた頃、「コニン族の髪は僕たちと違ってきれいなんだろうなあ」と言ったのを母さんに聞かれたとき、こんな目を向けられた。
 そんなことは知らないけれど、森の中で一生を終えるはずだった僕たちが森の外にいるということは、外の人にとって不都合なことなのかもしれない。
「すぐに遠くに行きます。とにかく人がいるところに行きたいんです」
「なら、街に行くといい」
「街?」
「この国の城下街のことだ。本当はアンワード王城下街と言うが、誰もそんな長い名前で呼ばない」
 アンワード、と口の中で呟く。聞いたことはあるけれど、ほとんど耳に馴染みのない言葉だった。王様よりも村長の方が僕たちにとっては重要な存在だったし、この国の名前より農耕具の使い方の方がよっぽど役に立つものだったからだ。
 ――でも、これからはきっと違うのだろう。
「あの旗の付いた天幕へ行ってごらん、二輪車を貸し出しているから」
 男が指差す先、白い砂塵の狭間から鮮やかな赤が揺れているのが見えた。
「はい、ありがとうございます」
「深くは聞かないが、君たちにも事情があるんだろう。どこから来たか聞かれたら、『シュビレ砂漠から来た』と言っておけ」
 そう言って、彼は僕の手に小さな硬貨を握らせる。冷たい硬さがじわりと手の中で滲んでいった。

 夜中、ただひたすら二輪車を漕いでいた。灯りは持っていなかったけど、空に浮かんだ丸い月は空も地も白く照らしていた。
 身を切るような寒風は容赦なく吹き付け、いくら漕いでも砂地帯は視界を覆い尽くす。時折、からからに乾いて死に瀕した草木がささやかに生えているだけだ。緑なんて見る影もなかった。
「少し休もう」
「うん」
 その程度の会話ですら億劫になるほど疲れていた。日差しもない冬の夜、こんなところで休むなんて危険すぎるということは、森で冬を越してきたミーシャもわかっているはずだった。それでも、これ以上進むことはできなかった。
 黒いフードを深くかぶり、枯れ木に寄り添って少しだけまどろむ。右手でミーシャの手を握り、左手で地面の枯れ草に触れる。砂色に干からびた草は力を込めると呆気なく崩れた。
「――起きて。エルス、起きて」
 掠れた声に揺さぶられて目を開けると、僕を覗き込んでいた顔がほっと緩む。眠る前は濃紺に覆われていた空は、今や薄白くなっていた。灰色の雲が風に押し流されていく。
「よかった」
 ミーシャは赤く染まった鼻先をすんと鳴らして、白い息を吐いた。それはふわりと宙に浮かび、瞬間、溶けるように消える。
 冷気にあてられた体は芯まで冷え切っていて、指先はほとんど感覚がない。ミーシャは僕の左手を包み込み、息を吹きかけて擦った。
「すごく冷たくなってたから、怖かった……」
「ごめん、ちょっと休むだけのつもりだったのに」
 もう大丈夫。そう言いながら立ち上がり、軽く跳ねるように足踏みする。まだ感覚は鈍いけれど、ちゃんと地面は捉えられている。
 フードを脱ぐと巻き上げられた砂が顔にぶつかった。口に入ったそれを吐き出し、僕は二輪車にまたがった。
「多分もうすぐ着くよ」
 地平線の先は霞んでぼやけていたけど、砂煙に混じった温かい風がなんとなくそんな気にさせた。

 持っていた水がなくなり、日が僕の顔に差し込んできた頃、ようやく辺りに民家がぽつぽつと見えるようになった。延々と続いてきた砂地も煉瓦の舗装道になり、人の呼吸が聞こえてくるようだった。
 道を歩く人はそれほど多くもなかったが、みんな例外なく僕たちを無遠慮に眺め回していた。それが異端者への物珍しさからなのか、侮蔑からなのかはすれ違う一瞬で判断することはできないけど、いい気はしない。
「ちょっと」
 呼び止められて振り向くと、腰の曲がったおばあさんが眼鏡越しにじろりと睨んだ。
「それはうちの二輪車だ。どこから来たんだい」
「僕たち、シュビレ砂漠から来たんです」
 その言葉に応えるでもなく、おばあさんは見定めるように目を眇めた。先ほど道路でも感じた居心地の悪い視線に晒されて、僕は俯いた。
「どうせ街に行くんじゃろう。なら、うちで降りていきなさい」
 ゆっくりとした足取りでおばあさんは家へ案内する。からからと音を立てる二輪車を引きながら、僕はミーシャを盗み見た。黒いローブから覗く白い肌、表情は読み取れない。吸い込まれるような空を映した瞳は夜の色を見せていた。
「あんたらみたいな田舎の旅人は知らんだろうが、街では二輪車には乗れないからね」
 おばあさんは二輪車を受け取ると、ブツブツと呟きながら鍵をかけた。
「――なーんか嫌な感じの人だったな」
 二輪車には特に問題もなかったらしく、僕たちはすぐに解放された。舗装道を歩きながら、ため息と一緒にぼやきを吐く。
「そう? 私のおばあちゃんもあんな感じだったよ。村の人には偏屈ばあさんだって言われてたし」
「……そうなの?」
 ミーシャとおばあさんと過ごした記憶はほとんど残っていない。ただ、ミーシャの話から情の深い優しい人という印象があったから意外だった。そう感じたのが顔にも出ていたのだろう、ミーシャは慌てたように「意地が悪いとかそういうわけじゃないんだけど」と付け加える。
「べ、別にそんなことは思ってないよ」
「そういえば、エルスは私たちと暮らしていた頃のことは覚えてないんだよね」
「うん、思い出そうとすると頭が痛くなるんだ」
「そっか」
 その声には、少しの落胆と安堵の色が混ざっていた。

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