子守唄の音色トーン

「ふんふふんふんふーん」
 こんな明るいときに外に出るなんて、何年ぶりだろうと羅江は考える。屋敷に住み着くようになってから、家を出たのは夜だけ、しかも人を殺すためだけだった気がする。
『先日、木葉大学が欠落種族という種族の存在を発表しました。欠落種族は最近異常に減少しており、今はほとんどいないそうです。発見したのは二十年ほど前で、木葉大学の教授が第一発見者だそうです』
 どこか――テレビから洩れてきた、ニュースキャスターらしい女性の声が耳に届いた。欠落種族という単語に、思わず記憶がフラッシュバックしそうになる。ふらっと軽い立ちくらみ。
「だ、だめだめ。こんなんじゃ」
 羅江は自分の肩を抱いて、スーパーに足を踏み入れた。

「えっと、カレーとご飯と、あとは冷凍食品かな……」
 たくさんの商品を前にして目移りしていると、かごの中はあっという間にいっぱいになった。体に悪いとは思うが、料理のための設備も整っていない。今し方かごに放り込んだものなら、室温で溶かせば食べられる。
「お願いしますー」
 重いかごをレジに乗せて、一息吐く。羅江は財布の中身を確認しながら、表示されていく値段を眺めていた。入れすぎた気もするけど、お金が足りなければ返せばいい。
 しかし、そんな呑気なことを考えている場合では無いことに気付いた。テレビで欠落種族のことは話題になっているのだ、自分に気付いてもおかしくない。多分、帽子を目深に被って、髪を中に押し込んでいたから気付かれなかったのだろう。肌だけを見れば、病弱な少女に見えなくもない。
 羅江は顔を青くさせて、会計が終わるのを待った。買うだけ買ったら、すぐ家に戻ろう。そして、もう外には出ないようにしよう。
 そのとき、値段を言おうと顔を上げたレジ打ちの店員と目が合った。
「五七三八円――、その髪って……あなた、欠落種族?」
 彼女は目ざとかった。帽子から出ているほんの少しの髪を見逃がさず、それと欠落種族を結び付けた。瞬間的に、羅江はレジを飛び出した。
「欠落種族って、……あ、待て!」
 隣のレジにいた中年の男が手を伸ばしたが、羅江は軽くすり抜け、そのまま店の外へと走り出て行った。男はしばらく唖然としていたが、すぐにかごを放り投げて追いかけ始めた。

 羅江は、自分は小柄だと自認していた。二十五歳ほどだというのに、十歳は幼く見られる。だからそれを活かして、狭いところばかりを通った。フェンスの隙間、細い路地裏。しかし、撒けたと思ってもすぐにまた違う人と出くわす。
「向こうに逃げたぞ」
「捕まえろ!」
 羅江を追っている人間の声は、全然遠くならない。ふらふらと陽炎のように彷徨うのが周りの声なのか、それとも、自分の頭の中なのか、それすらわからなくなる。
「もう、疲れた……」
 そもそも、彼女は普段外に出ないのだから、長時間走り続けることなんてできない。立ち往生したまま喘いでいるとある一人見つかってしまい、そこからは芋蔓式で、人間の群れに囲まれてしまった。
「さて、どうする?」
 青年は彼女を睨み付けながら、張りのある声で言った。見たところ二十歳ぐらいで、彼女は親近感を覚える。そんなことを考えるような状況じゃないというのに。
「警察に引き渡すのが無難じゃない?」
 手にレジ袋を持った主婦は額から汗を垂らしながら男に言った。羅江は、だったらなんで追いかけたのと詰め寄りたくなった。井戸端会議の話題が欲しかったからに違いないのに。
「みんな、近寄るな。欠落種族は精神力が強く、人間も殺せるらしい」
 誰かが発したその声で、人垣が一回り広がる。ひそひそとした話し声は、波紋のように感じる孤独感。
「そんな忌まわしいもの、早く殺してしまいましょうよ!」
「そうだ、殺してしまえ!」
 羅江はここで殺されることを覚悟した。しかし、人を殺した自分に微笑んでくれる神様なんていないと思った。地獄は住み心地のよいところだといいな……。そんなことをつらつら考えていると、凛とした声が後ろから響いた。
「待て!」
 羅江は顔を明るくさせて振り返った。しかし、それはすぐに絶望へと変わる。期待した分、地獄の底に突き落とされたように感じた。
「欠落種族の少女を、我々に引き渡してください」
 男は白衣を着ていて、胸には『木葉大学』と刺繍してあった。威厳のある声で、その人が木葉大学の教授だとわかった。欠落種族の第一発見者。この男のせいで自分たちはこんな目に遭ったんだと、羅江は唇を噛み締めた。
 少しでも期待した自分を呪いたくなった。口の中に鉄の味が広がる。
「ど、どうするんですか」
 羅江を追いかけ始めた中年が、馬鹿丁寧に問う。教授は穏やかに笑い、その笑顔のまま恐ろしいことを口にした。
「実験です」
 その台詞に羅江は息を呑み、その恐ろしさに拳に力を込めた。笑顔の仮面を付けた男を人間とは思えなかった。
「実験のためなら仕方ないよな」
「私たちの町に欠落種族がいるなんて恐ろしいものね」
 責任逃れのようにぼそぼそと聞こえてくる声。羅江は込みあがる怒りを抑えるために、わざと聞こえない振りをした。
「大丈夫ですよ、暴れなかったら痛いようにはしません」
 教授は顔に作り物の笑みを浮かべて近づく。自分のほうに伸ばされた手を反射的に払い除けると、教授の態度が急変した。
下手したてに出ていたら付け上がりやがって……来い!」
 問答無用で腕を掴まれ、腕に爪が食い込んで痛い。その痛さで脳が感情的になり、じわりと涙が滲む。教授の手を必死に振りほどこうと試みても、全く歯が立たず、却って彼のガソリンに火を点けるだけだった。
「嫌っ! 助け、――」
 羅江は必死に叫んだが、突然頭に衝撃を感じ、そのまま意識を失った。