幼馴染は共犯者 09

 アスファルトから反射した光は遠慮することなく顔に突き刺さる。地面には木の葉の影が一つ一つ鮮明に映し出される。
 歩いていると何者かの視線を感じ、久美は振り返った。そして、誰もいない道へ声を投げる。
「出て来なさいよ」
 すると、決まりが悪そうな涼が姿を見せた。久美は軽く溜め息を吐き、彼に視線をやる。涼は彼女とは目を合わさないように横を向いた。
「お一人で外出なさっては危険ですよ」
 そう言っても久美が聞かないということはとっくに知っているし、涼も説得は諦めているので、忠言をしている形式をとっているだけに過ぎない。久美が外出するときには自分が付いていけばいいだけなのだ。
「どこへ行かれるのですか」
「……いつなの?」
 久美の言葉は主語を欠いていたが、涼には何のことを指しているのかすぐにピンときた。
「早めがいいでしょうね。なんなら、このまま帰らなくてもいいのですけど」
「それは駄目よ。逃げるなら夜」
 隆志がリビングに起きてこない彼女を不審に思うのは昼頃だろう。涼がいないことに気付くのですら、午前六時過ぎだ。そして、その頃既にベッドはもぬけの殻なのだ。愕然とする隆志の姿を想像して久美は笑みを漏らす。
「なら今夜にしますか」
 久美は彼の提案に頷いて前を向き直った。栗色の髪がふわりと揺れる。
「私、髪を切ろうと思うの」
「もったいないですね、せっかくの長い髪が」
 涼は名残惜しそうに目を細めた。しかし、久美は微笑んで髪を一房つまむ。
「元々伸ばしたくて伸ばしていたんじゃないもの。ドレスアップするときに髪を飾るためよ」
 隆志は他企業とのパーティーに久美を出席させて媚を売ろうとはしなかったものの、スカイルナ内では社長令嬢の誕生日パーティーが恒例行事になっていた。そのこともあり、久美は空月家の一人娘として、ある程度の華やかさを備えておく必要があったのだ。背中を覆う豊かな髪もその一つだ。
 しかし、それももう終わりだ。
 そう暗に示し、久美は低く笑う。涼はしばらく黙っていたが、「そうですか」と答えた。
「私は好きだったんですけどね。その髪」
 涼が呟くと、久美は一瞬目を丸くした後、楽しそうな表情を浮かべて微笑んだ。

  * * *

 背後に誰かがいる。気配を隠そうともしない男は側にあった銃を手に収め、何度か上に放って感覚を確かめる。連弾式のそれは、元々彼が使っていたものだった。
 坂田はそんな男を視界の端から外し、銃を構えた。静寂の中、引き金を連続で二度引いた。中央近くを撃ち抜いた二つの穴を眺め、溜め息をつく。
 銃を下ろした坂田が振り返ると、目の前で彼の口が動いた。しかし、声はほとんど聞こえない。当然だ。こんな音が反響するところでイヤーマフをしていなかったら、確実に耳は使い物にならなくなる。
「何か言いましたか?」
 緩慢な動作で耳に付けたイヤーマフを外し、彼は目前の男に問い返した。
「いや……、お前がここに来たばかりの頃は、まさかこんな腕利きになるとは思わなかったな」
 視線をやった先には、つい今しがた穴を開けたばかりの的があり、それはどれも中央の円内を撃ち抜かれていた。しばらく練習を怠っていたが、勘は鈍っていないようだ。
「藤江さん――いえ、豊さんのお陰ですよ」
「涼がいるからか」
 彼はそう言って苦笑する。坂田は首をすくめて返事とした。
 坂田が言った豊のお陰というのは事実だった。彼は初めて豊の射撃を見たときにその腕前に惚れ込み、その場で土下座をして弟子にしてくれと頼み込んだのだ。彼の特訓は並大抵のものではなかったが、それは無駄ではなかった。
 坂田は、空月家の地下射撃場を初めて訪れたときのことを今でもありありと思い浮かべることができる。
 隆志に連れられ、こんな場所があるという事実に驚くよりも先に、彼の目には銃を構える男の姿が飛び込んできた。何の音も耳に入っていないかのように的を見据えた彼は、一瞬の後発砲した。耳をつんざく轟音が二度響き渡り、的には中央を撃ち抜かれた穴一つが残る。
 どういうことなのかと目を白黒させている坂田の横で、隆志は満足げに手を打った。
「さすがだ。この距離でワンホールショットを決められるのは君ぐらいのものだよ」
 ワンホールショットは射撃における最も難度の高い技だ。一度目の弾痕を的としてそこに銃弾を撃ち込むという、命中技術の限界を目の当たりにした坂田は、衝動的に膝を折ったのだ。
 彼の下について十五年弱、最初に抱いた敬意は膨らむばかりだ。だからこそ、彼の息子には友好的な態度で接してやろうと思うし、実際、涼の射撃の腕――特に速度に関しては、目を瞠るほどである。
「息子はしっかりやっているか」
「ええ」
 しかし坂田は先日の出来事を思い出し、表情を緩めた。涼は、実際の雇い主の父親に雇われていると勘違いしていたらしい。そして、ふと彼がたまに隆志の書類の処理をしていたことを思い出した。あの雑務も、断ろうと思えば断れないことはなかったのに。
 涼は決して馬鹿ではない。しかし、どこか抜けたところがあるのも確かだった。
「そういえば、自分が久美さんに雇われていることを知らなかったらしいですね。社長に雇われていると思っていたそうですよ」
 坂田が笑いながら豊を振り返ると、彼は絶句していた。生粋の使用人にとって、主人を理解していないということは言語道断のことなのだと坂田は遅ればせながらも気が付いた。
「……プロ失格だな」
 額に手をやる豊は、自分の教育の甘さをひしひしと感じているようだ。こういう仕草の節々に、やはり彼と涼は親子だということを感じたりする。
 坂田が空月家に来た当時は使用人の顔ぶれも今とは相当違っていたが、豊はその中でも精彩を放っていた。実務能力にも優れていた彼は、隆志を公私共にで支える立場として使用人の中でも一目置かれていた。隆志が彼を自らの妻の教育係に就かせたのがそれを物語っていた。
「どうして引退なさったんですか。まだお若いのに」
 なんとはなしに尋ねた瞬間、ひゅっと息が喉を抜ける音が坂田の耳に届いた。彼は即座にこの質問をしたことを後悔したが、今更取り繕うことは出来ない。しかし、豊はすぐに笑顔を浮かべ、かつてを思い出すように目を細めた。
「私は不安定な時期の祐子様をお支えしてきました。祐子様のいない今、私がすることなど――」
 そして、遠くの的を見たままふっと息を吐いた。ひどく自嘲的な笑みだった。