格子の向こう側 17

 隆志の運転は荒々しく、道路交通法など意にも介していないかのようだった。隙あらば車体をねじ込み、車が通っていないのを確認すれば赤信号ですら堂々と横切る。豊も器用に車の間を抜けながら食らいつくが、さすがに彼のような真似はできない。二台の差は次第に広がっていく。
「坂田と今田はどこに行ったんだ?」
 豊はクラッチを踏み、ギアを上げると口を開いた。涼はその言葉に眉根を寄せる。
「今田さんがいなくなっていたんですか」
「ああ。坂田の行方は知っているのか?」
 涼は軽く握った拳に力を込めた。虚空を睨み、数時間前の記憶を引き出す。
「取引に行くと言っていました」
「取引、ねえ」
 涼の返答に、豊は含みのある笑みを漏らし、ハンドルを右に切った。窓に押し付けられた涼は咄嗟に窓上のアシストハンドルを握る。
「そういえば、スカイルナは双樹学院とも取引をしているんですね」
 涼が久美の家庭教師から使用人という立ち位置になり、空月家やスカイルナの云々を知ったのは、彼が高校を卒業した五年前のことだ。TRESSION社のような企業だけでなく、私立とはいえ一学校が裏事業に関わっているというのは彼にとって大きな驚きだったのだ。
「まあ、あそこも裏では柳城会と繋がっているっていう噂があるからな」
 彼は独りごちると涼にちらりと目をやった。その奥に潜む暗い色に、涼は唾を飲み込む。
「そういえば、双樹学院の話を持ってきたのは誰だ」
 その問いを聞き、涼の疑いは一気に確信へと近付いた。きっと、豊の疑念も息子と同じなのだ。
 柳城会と縁がある双樹学院は、今やスカイルナにおける上客だ。そして、その話を持ってきた今田は現在行方が知れない。涼はすらすらと言葉を紡ぐ。
「坂田さんが今田さんの紹介と言っていました」
「……ほう」
 豊は小さく呟くとアクセルを踏み込んだ。

 信号が黄色から赤に変わる。右折の矢印に従って隆志の車が曲がるのが対向車線から見えたが、豊の車が曲がるのには間に合わない。彼は赤信号を強行しようとしたが、絶え間なく続く車に仕方なくブレーキを踏んだ。
「――これはもう駄目だな」
 目の前を横切る道路は国道のため、信号の時間が設定されている。あと二分程度は待たなければならないが、その間に隆志の車は、彼だけが知っている目的地へと突き進んでいるのだろう。
 夜の国道沿いは昼とは違う表情を見せる。肌を露出させて道行く人を誘惑する女性や、カラオケ屋のビラを配る茶髪の青年、飲み会帰りで千鳥足のサラリーマンの雑多な声に溢れている。
 せっかく手掛かりが掴めたかと思ったのに――涼は溜め息を吐いた。誘拐犯が親に連絡し一人で来させるというのは定番だが、実際はそんな要求を素直に呑んだところで、二人とも彼らの手の内に収まってしまうだけだ。隆志にそれがわからなかったはずはないが、娘可愛さに冷静な判断ができなかったのだろう。涼はこめかみを押さえた。冷静な判断ができなかったという点においては、彼も同じだ。
 と、彼の嘆声に応じるように電話が鳴った。涼が携帯を取り出し画面を見ると、そこには『坂田太郎』という文字が表示されていた。取引に行ったはずの彼がなぜ自分に電話を掛けるのかと訝しげに思いながらも、涼は通話ボタンを押して耳に当てた。
「はい」
『涼か』
 電話の奥の無音にかき消されてしまいそうな小声に、彼は通話音量を上げた。坂田の声に焦っている様子を感じ、涼は左手を右手に添えてのめり込む。
「どうしたんですか」
『今そこに久美さんはいるか?』
 坂田の言葉に涼は息を呑んだ。数時間前に久美に会いそのまま外出した坂田は、彼女が家を出たことを知らない。なのに、何故彼の口から久美の名前が出てくるのか。
「いま、せんけど……」
 からからに渇いた口から出た声は掠れていた。涼は咳払いをして唾を飲み込む。坂田は電話の向こう側で黙り込んでいたが、少しの間の後、言葉を発した。
『俺は今倉庫にいるんだけどな、久美さんらしき人が連れ込まれているんだ』
「えっ」
 涼は目を見開き、携帯を握る両手に力を込めた。豊は彼にちらりと視線をやる。
「どうした」
「坂田さんのいる倉庫にお嬢様が……」
 言い終わる前に、彼は涼の言葉に眉を跳ね上げ、左手を伸ばした。
「貸せ」
 涼の手から携帯を奪い取った豊はスピーカーフォンにオンにし、そのまま会話を続ける。
「どういうことだ」
『え、あ、藤江さんですか。俺にも何がなんだかわからなくて……。取引を終えた後一眠りして帰ろうとしたら誰かが来たから隠れていたんです。それで様子を伺っていたんですが、声と喋り方が久美さんに似ていて』
 坂田は一瞬戸惑ったようだったが、そのまま説明を続ける。豊は苦い表情を崩すことなく、信号を睨み付ける。坂田はそのまま、一瞬の間を空けて静かに告げた。
『あと、……黒幕は今田のようです』
 その台詞に二人は表情を凍り付かせる。まさかと思っていたことが事実だった――。
 しかし、豊はそんな素振りを見せず、携帯の向こう側と会話を続ける。坂田の言うことが事実なのであれば、事態は一刻を争う。
「坂田、どうにかできないのか」
『人数が多すぎます。俺一人で全てをどうにかするのはちょっと無理ですね』
 そうか、と呟くと、豊は淡々と必要事項のみを告げた。
「場所は門田の倉庫だな。私たちも向かうが、着くまであと十五分は掛かる。――わかっているな?」
 その上で尋ねる念押しへ期待する答えはたった一つだ。そして、それは信頼の証でもある。
『……はい、できる限りのことはします』
 その言葉を最後に電話は切れた。豊は携帯を畳むと、横に視線をやることもなく隣の涼に放った。慌ててそれを受け止め、すぐさまナビを起動させる。点滅する通信中の文字に、彼は苛々と足を揺らした。
「今まで奴がどういう職務態度だったかは知らんがな」
 突然口を開いた豊に、涼は携帯を操作する手を止めて顔を上げた。前を見据えたままの彼の顔は渋いものだった。
「こんな大がかりなことをするなど正気ではない。お嬢様を助けたいなら覚悟しておけ」
 涼は神妙な面持ちで彼に頷くとシートベルトを確認した。こうなった以上、のんびり悠長に構えているわけにはいかない。少しでも早く倉庫へと向かう。できるなら、隆志より早く。
 右折のウインカーが音を立てて点滅する。豊は対向車線の車を見据え、アクセルを吹かして牽制する。譲れと暗に示す。
 横の信号が赤に変わる。車の流れが止まった隙を付いて、豊は目前の信号を待たず勢いよく発進した。