囚人の行方 23

 そして、数ヶ月が経った。寒風を耐えた木々は既に花を落とし、葉を付けようとしている。
「久美ー!」
 教室を出た久美の背後から彼女を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、白いセーラー服の女子生徒が満面の笑みで駆け寄ってくる。
「ねえ、今日アレグレット行こうよ」
「ごめんなさい。今日は用事があるのよ」
 腕に飛び付いた彼女をさり気なく引き剥がしながら、久美は控えめに笑んだ。
 この春から、彼女は第二希望だった公立高校に通っている。入学して一ヶ月が経ち、校舎の中で迷子になることも少なくなってきた。
 今久美と話している少女とは、入学式のときに席が隣になったのがきっかけで仲良くなり、それ以来ほとんど毎日時間を共にしている。中学時代友達という存在を知らずに過ごしてきた彼女にとっては初めてのことばかりで、この一ヶ月は息をつく暇がなかった。
 積極的で笑顔を絶やすことのない彼女は常に友人に囲まれている。その中になぜ自分が入っているのか、未だにわからない。彼女は生き生きとしていて、本能のまま生きているようで、久美には少し羨ましかった。
 色眼鏡で見られることを覚悟してスカイルナのことを話しても、彼女は「えー、すごいじゃん! 服には困らないね!」と、よくわからない理由で目を輝かせていた。その反応を見て、ほっとすると同時に拍子抜けした。
 案外、人は自分が思うほど他人のことを気にしていないのだ。
「えー、残念。じゃあ今度行こ。久美お勧めのパフェ教えてね」
「ええ、もちろん」
 少女はその言葉に笑顔を向けた後、ふと頬を膨らませた。
「その口調直んないの? なんか堅苦しいんだけどー」
 彼女は何度かそれを話題にすることがあった。その度に久美は同じ返しをする。
「ずっとこの話し方だったのよ。今更直らないわ」
「まあいいんだけど、たまに距離感じるっていうか」
 久美がそう言えば彼女はすぐに引き下がってくれる。しかし、何度も尋ねるということはやっぱり心のどこかで寂しいと思われているのだろう。久美は足元を見つめて思案する。例えば、同じクラスの女子はどんなことを言っているだろうか。思い付いた言葉はぽろりと口から滑り落ちた。
「まじうけるー」
「えっ?」
 彼女の目が点になる。一瞬の間をあけて、少女はこらえきれないといった様子で笑い出した。
「ちょっと待って何それ!」
 驚いたのは彼女だけではない。久美は一瞬自分の口走った言葉に気付かなかったが、すぐに口を押さえ顔を真っ赤にした。
「ひ、ひどいわ。私なりに頑張ったのに……」
 久美は口を押えたまま、目尻に涙を滲ませて笑う彼女をじっとりと睨む。
「うーん、やっぱり久美はいつもの喋り方の方がいいや」
 少女は階段の手すりにもたれ掛かり、ひいひいと喘ぎながら涙を拭った。「ごめんって」という彼女からは悪びれた様子は窺えない。
「あなたの反応を見て私もそう思ったわ」
 久美は憮然とした表情のまま、すたすたと階段を下りた。昇降口で上靴を脱ぎ、靴箱の戸を開ける。古びた鉄がぎいと音を立てた。
「あ、そういえばさ」
 少女はそう言いながら上靴を靴箱に投げ込む。
「ニュースで見たよ。久美の家、大変だったんでしょ?」
「そうね……」
 実際、大変だったのだ。
 今田の死は柳城会の内争に巻き込まれてということにされたが、そこから芋づる式に双樹学院やスカイルナとの繋がりが暴かれていった。
 双樹学院は盗品の競売が公になり、教育機関を利用していたということもあり、ちょっとしたニュースになった。それに関わっていた者は捜査の手が入る前に早々に見切りを付け、関わりのなかった保護者はニュースを聞いて次々に生徒を自主退学させた。今はまだ経営を続けているが、そのうち廃校となるだろう。
 そして、空月家からは三人の使用人が姿を消した。一人は倉庫で黒焦げになった被害者として発見され、一人は久美の個人的な使用人として仕えている。久美は最年長の使用人に思いを馳せた。
 倉庫の火事に関しては今田、密売の件は坂田の一存ということにされ、スカイルナの体面は一応は守られることになったらしい。
 坂田は「トカゲの尻尾になることは覚悟していました」と、警察関係者が事情を整理しているうちに高飛びしたのだと涼から口伝えに耳にした。本場で銃を学んでくると軽口を叩いていたらしいが、実際彼がどんな気持ちで日本を離れたのか、彼女にはわからない。
 そして、最近やっとスカイルナ及び空月家の騒動は終わりを迎えたのだ。久美は、やっとテレビカメラに怯えずに済む生活を取り戻していた。

「ねえ、あれ涼さんじゃない?」
 少女の指差す方向には、白い石の門柱があった。そこに長身の男が身を寄り掛かって立っている。彼は若い高校生の中で居心地が悪いのか、落ち着かない様子で辺りを見回している。
 涼は久美に気が付くと、ほっと安堵の表情を浮かべた。
「……久美」
 久美は彼に手を振ろうと腕を上げかけ、隣の少女がいやらしい笑みを浮かべているのに気が付いた。
「用事って涼さんとだったんだ。へえー」
 にやにやと顔を緩め肘で脇腹をつつく彼女に、久美はすげなく言い返す。
「あなたが予想しているようなことじゃないわ。ただの家の用事よ」
「どっちでもいいけどー?」
 そんな会話をしながら校門へ歩いていった二人に、涼は温和な笑みを浮かべた。「胡散臭い」と呟く久美を気にも留めず、彼はにこやかに尋ねる。
「そちらの方は久美のご友人ですか?」
 久美がその言葉に反応するより先に隣の少女が口を挟んだ。
「はい、もちろんです! でもこの子、いっつも私に遠慮してばっかりで全然頼ってくれないんですよ! あっでもさっきは何を思ったのか突然『まじうけるー』とか言ってましたね。涼さんのことは前々から聞いていますよ。今日は涼さんに譲りますけど、次は私が久美とデートしますから! では、これからもよろしくお願いしますねー」
 彼女はそれだけ言い終えると、涼に軽く会釈をして校門を走り去っていった。
「随分と忙しない人ですね……」
 呆気に取られた表情で彼女の後ろ姿を見送る涼に、久美は呆れた顔で首を振り、視線を道路へ向けた。そこには涼の車が停まっている。
「わざわざ迎えに来なくてもよかったのよ」
「迷惑でしたか?」
「そういうわけじゃないけど」
 涼は助手席のドアを開け、一瞬校舎へと目を向けた。久美がその視線を追う前に、彼は彼女を笑顔で黙殺する。
「なら、いいですよね?」
「……ええ」
 久美は何かが変わってきていると感じながらもそれに明確な理由を付けることができず、彼が導くままに助手席に乗り込んだ。

「車で来れるのはここまでのようですね」
 坂の下の駐車場に車を停めて、涼は目を細めた。側の石碑には『門田霊園』と刻まれている。
 久美は無言で頷き、コンクリートで舗装された坂を上り始めた。空は雲一つないほど澄み渡り、太陽は地面に反射して光る。しかし、二人の間に降りる沈黙はそれとは対照的に重く苦しい。
 灰色の石碑はそれほど多くないが、目的の名前はその中でも特に隅の方にあった。白い砂にぽつんと建っていたそれは小さなもので、辺りには雑草が伸びていた。閑散としたその墓を見舞っていた人は既にこの世にいない。
 彼らは墓石の前で手を合わせた。
「……お母さん」
 小さな呟きが漏れる。風が吹き、久美の髪がふわりと舞った。
「あなたも、今田さんも、きっと……」
 それ以上の言葉を続けることは憚られた。静かに樒と菊を手向ける。

 二人は無言で踵を返した。振り返ることなく、ゆっくりとその場を後にする。
 墓碑の前に挿された花は太陽に傾げていた。