彼女のチョコは俺の物

「――今、何て言った?」
 放課後の教室。一組のカップルの他には誰もいない。閑散とした空間は音をよく拾うが、彼の疑問符はそれ故の問い返しだった。
 恐る恐るといった様子で悦子の顔色を窺う大紀を切り捨てるかのごとく、彼女は当然のように返答する。
「だから、たーくんにあげるチョコなんて無いからね」
「えっちゃああああん!?」
 目に涙を溜めて倒れ伏す大紀に憐憫の色を示すも、悦子は彼を放って教室を出て行ってしまった。開け放された引き戸から寒風が入り込む。
 机に伏せたまま顔だけ中途半端に上げ、大紀は呆然と呟いた。
「……まじ?」

 というのも、話は数分前に遡る。
 教室に取り付けられた暖房の恩恵にあずかりながら、大紀はカレンダーから視線を隣へ向ける。
「そろそろバレンタインだなっ」
 彼は期待に目を輝かせながら、悦子に語を継ぐ。半年前から付き合い始めた彼らにとってはこれが初めてのバレンタインだった。大紀は彼女手作りのチョコレートを、月初めからずっと楽しみにしてきたのだ。
 彼氏なのだから当然チョコレートを貰えるはずだ。その読みが外れる事例なんて、日本全国探してもそうそう無い。長年連れ添ってきた熟年夫婦ならいざ知らず、まだ初々しさも残る高校生だというのに!

 しかしながら、貰えないものは貰えないままでは貰えない。
 ならば、どうにかして貰えるようにこぎ着けるしか無い。
「えっちゃん、一緒に弁当食べよう」
 ということで、大紀は悦子のクラス――三組に来ていた。色めく女子には目もくれず、恋人を引き連れて屋上へ向かう。二月といえどもまだ寒いので、わざわざ屋上に行く物好きもいないだろう。
「なんで急に、一緒に弁当食べようなんて言い出したの?」
 悦子は屋上の階段に座るや否や、至極もっともな疑問を投げつけてきた。
 やはり屋上は寒かったと後悔しながら、雲一つ無い青空の下で彼女の隣であぐらをかく。大紀は保温機能の無い弁当箱を取り出し、悦子に向き合った。
「バレンタインのチョコレートの件について交渉しようと思って」
 真剣な口調と眼差しに、彼女は困ったような呆れたような表情を浮かべる。
「まだそんなこと考えてたの? この間も言ったじゃない。そんなの無いって」
 その言葉は、またしても大紀の心をさっくりと突き刺す。屋上は何も無いだけに風が吹き抜ける。
 溜め息と共に溜め込んだ憂鬱を吐き出し、ついでに脱力感たっぷりの台詞も吐き出す。
「俺たち付き合ってるんじゃないのか?」
「付き合ってるよ」
「俺のこと嫌い?」
「そんなこと無いよ」
 一向に話が進まない。あと二日しかないというのに、このままでは悦子のチョコにありつくことはできない――必死に脳みそを絞るも、実の無いカスしか出てこない。
 どうにもこうにも、八方塞がりだ。諦めた大紀は弁当を食べることにした。冷凍食品が七割を占めるおかずは、解凍の甲斐なく冷め切っている。そんなことすら天の意地悪に思え、大紀は弁当を手にしたままうな垂れる。
 悦子はそんな彼の一連の行動に、微かに笑んだ。

 結局、大紀はその後も説得を試み熱弁を振るったものの、彼女は全く取り合ってくれず、そのままバレンタインデー当日を迎えてしまった。
「はー……」
 一昔前の少女漫画のような『靴箱を開けるとチョコレート』を経て教室に入ると、そこは既に甘い匂いが充満していた。
「今日はチョコ何個貰うんだ?」
 靴箱に入っていたチョコを手にした大紀に恨めしげな視線を投げかけたクラスメートに、彼はそれ以上の哀愁を漂わせ言い返した。
「えっちゃん以外からのチョコなんかいらねーよ」
 その言葉をモテる男の余裕と受け取った彼は、声を尖らせ反論する。
「人を選べるだけで贅沢だっつーの」
「でも、えっちゃんのチョコレート……」
 机に顎を乗せて溶け切った大紀の目は焦点が合っておらず、彼も複雑な表情を浮かべるしかできなかった。

 放課後になっても悦子が教室にやってくることは無く、欲しくもない相手からのチョコで鞄をいっぱいにした大紀は、とぼとぼと靴箱へ歩いていった。
 靴箱に手を掛けた大紀は、しかし突然耳に飛び込んできた自分の名前に、思わずその手を止める。
「大紀くんの反応はどうだったの?」
「泣きつかれました」
 大紀という名前は珍しくなかったが、何よりも聞き覚えのある声が彼の足を地に縫いつけた。悦子の声を聞き間違えるはずがない。よって話題の大紀は自分なのだと結論を導き出したものの、話の流れは全く読めない。
「でも、今年もいっぱいチョコ貰ってたんですよ。私なんかのチョコ、みっともなくて渡せません」
 消えるようにすぼんでいく台詞を聞き、大紀は自分の行動がいかに浅はかだったか気づいた。
 明らかに本命であることがわかるチョコレートなんて、受け取るべきではなかった。悦子は見ていないようでしっかりと見ていたのだ。
「さすがにあげないのはまずいし、靴箱に入れておけばいいかなって思ったんです」
 悦子の行動の理由を知り考え込んでいると、こんな台詞が聞こえる。二人の声がどんどん自分の方へ近づいてきているのに気づき、彼はさらにパニックに陥った。このまま二人がこちらに来れば、鉢合わせは免れない。
 どうにか回避してくれ!
 そんな願いも虚しく、二人が靴箱の方へ歩いてきた結果、見事に三人はバッティングしてしまうことになった。
 聞いてしまった気まずさと聞かれてしまった気まずさで、大紀と悦子は不自然に視線を彷徨わす。しかし、側にいた先輩はそれを好機とばかりに大紀の肩に手を置いて笑みを浮かべた。
「大紀くん、ちょうどよかった。私これから用事があるから、悦子のことお願いね」
 言うなり彼女は疾風の如く角を曲がり、階段を駆け上がっていった。あまりの速さに、二人は呆気に取られ立ち尽くす。
 ようやくフリーズが解けた大紀は、そっと悦子の手を握る。隣に佇む彼女から、ふんわりと甘い匂いがした気がした。
「あの、えっちゃん。俺、もらったチョコは捨てようと――」
「そんなことしなくていいよ! 実は、作ったんだけど……失敗しちゃって」
 控えめに差し出された袋は淡いピンク色で、カラフルなチョコスプレーに彩られたトリュフが透けて見える。
「いろいろ振り回してごめんね」
 どことなく歪なそれは、不格好と言われようが、紛れもなく手作りのチョコレートだ。大紀は鼻の奥をつんとした痛みが突くのを感じる。
「あ、でも、ちゃんとサービスしておいたから」
 言葉を告げられない大紀を抜かすと、悦子は「ほら、帰ろう」と彼を急かす。
「お、おう」
 夕焼けに染まる校舎、校庭を横切る二つの影は近づき、やがて一つに溶けていく。そして、その影は歩みを止めることなく学校を後にした。

「ちなみに、そのごめんなさいサービスって、彼氏サービスと併用?」
「当然」

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