3年2組の憂鬱

『ごめん、無理』
 メッセージ通知のポップアップには、ただその一言が表示されている。どういう意味なのか、理解するまでにしばらく掛かった。理解して、どっと疲労感が押し寄せてきた。
 私は天井を見上げ、長く溜め息を吐いた。そのままベッドに仰向けに寝転がり、手に握ったスマートフォンごと四肢を放り投げる。脱力した腕が力なくマットレスを打った。
「そっか。まあ、そうだよね……」
 私は昨日、友達だった男子に告白した。
 夏休みも終わりかけで、二学期になったら受験勉強で遊ぶ余裕なんて無いからと言って遊びに行った帰り際だった。ここで言わないと受験勉強にも手が付かないと思い、たった一言の勇気を出した。
 言うだけ言って怖気づいた私は、彼の返事も聞かずその場を逃げ出した。「返事は夏休み明けでいいから」という言葉だけを置き去りにして。
 そんな言葉を残してきたにもかかわらず、私はずっとベッドの上で身悶えながら、携帯を握りしめてやきもきして過ごしてきたのだ。
 ただ、それも今となっては滑稽だ。私の全力の一言は同じく一言によって否定された。
「だったらなんで二人っきりで遊んだりするかなあ」
 期待させておいて突き落すなんて。一世一代の大告白をメッセージで済ませるなんて。やっぱり近くにいる女のほうがいいのか。黒い気持ちが胸中を渦巻く。
 このままでは本当に嫌な女になってしまう。私は頭を冷やそうとベランダに出た。
 空はきれいな夕焼けだった。夏の終わりにふさわしい赤色。それを見ていると、彼に対する八つ当たりのような逆恨みの気持ちは消えていった。
 でも、と心の奥で考える。
 友達という関係を捨て、恋人という関係を拒否された私は、これからどうすればいいんだろう。あと半年は同じクラスで過ごさなければならない。それを思うと、憂鬱だ。

  * * *

 シャーペンの音が部屋に響く。
 宿題はすべて終わっている。なら、どうしてまだ勉強しているのかというと、塾にいるからだ。中学三年生も夏になるとそろそろ受験に向けた勉強にも手を付けなければならない。今日は連立方程式の復習だった。説明が終わり、後は問題をひたすら解きながら質問タイムだ。
 ただ手を動かして計算問題を解きながら、明日のことを考える。
 明日からは新学期だ。委員決めでは、きっとまた僕が学級委員に選ばれるのだろう。二年半しておいて、今更抵抗するつもりはないけど。
(学級委員なんて体のいい雑用係だよなあ)
 他の委員――例えば、給食委員や保健委員――と比べると、学級委員の仕事というのはわかりにくい。要は学級のまとめ係といったところだが、先生が用事を頼みやすいということもあって、突然仕事を押し付けられることも多々ある。学級のためという大義名分で一生徒の時間を根こそぎ奪うのだ。そりゃあ内申点でも貰わないとやってられない。
 別に、学級委員が嫌なわけじゃない。みんなに頼られるのは嬉しい。ただ、僕は自分がやりたいことがわからない。みんなの期待が息苦しい。
 気が付いたら、機械的なチャイムが鳴っていた。考え事に没頭していたせいか、ケアレスミスが多かった。答え合わせを済ませると、そそくさと部屋を出て塾を後にする。
 スマートフォンをちらりと見ると、クラスメイトからメッセージが届いていた。その内容を予想しながら開く。
『頼む、明日宿題写させてくれ!』
 見事的中だ。これと似たようなものが五、六通来ている。普段はほとんど会話しないような人たちも、この日ばかりは僕を頼って連絡をしてくる。
 彼らだって、僕が宿題をしていると思うからこんなメッセージを送ってくるのだろう。僕が勉強ができなくなれば、きっと見向きもしないに違いない。先生も、僕の成績が下がったり、学級委員の仕事をこなせなくなれば用済みだと思うのだろう。
 僕は妥協を許されない状況で、受験までこの重圧に耐えきれるのだろうか。

  * * *

 ――やだな。
 平和な日々はそろそろ終わりを告げようとしている。明日からは学校が始まるから、この安全な砦から出ていかなければならない。一日を自分の席で過ごし、誰と会話をすることもない生活が始まるのだ。
 ある日を境に、私が友達だと思っていた子たちが明らかによそよそしくなった。目立つ子のグループが私に目を付けたせいだと気付いたのは次の日だった。元友人たちが金魚の糞になっていたからだ。
 どうして私が選ばれたのかはわからない。勉強も運動もそこそこ、友達はそんなに多くもなかったが、仲良くやっていたはずだ。ただ、一つ心当たりがある。主犯格の子の一人は、私の幼馴染を好きなようだった。彼は誰とでも仲がいい人だったから、中学生になっても私に声を掛けてくれることがあった。それが気に食わなかったのかもしれない。
 中学生のいじめは陰湿だ。漫画にあるようにノートにマジックで落書きをされたり、体操服をごみ箱に捨てられたりするようなことはない。基本的には無視されたり、授業中の発表のときにクスクスと笑われる程度だ。そして、たまに教科書が無断で借りられたりしている。
 きっと彼女らにとってこれはゲームなんだと思う。先生にばれないようにやるのが楽しいのだろう。その目論見通り、担任はこの行為そのものには気付いているが、まだいじめだと思っていないようだった。
 学校は徒歩数分、部屋の窓からはその校舎が見える。私はカーテンを開けて、窓の鍵を外した。外から入り込む風は生暖かく、首元に不快感を覚える。
 あと半年の辛抱だ。あと半年経てば卒業して、奴らと離れることができる。私は服の裾を握りしめた。

  * * *

「はは……」
 乾いた笑いが口の端から零れる。
 俺は机の上に鎮座した大量の宿題を前に途方に暮れていた。国数理社英のワークに読書感想文、料理をして紙にまとめるという家庭科の宿題もある。
 なんとかなると思って一か月過ごしてきた。その結果、なんとかならなかった。笑える。……笑えねえ。
 そもそも、俺は元々こういう奴だった。毎年八月三十一日まで宿題を溜め、最終日に全て終わらせる。それでどうにかなっていたし、今年もそうだと思っていた。
 が、それは今年が例年通りであったならの話だ。毎年八月三十一日は俺にとって勝負の日で、朝四時半に起きて宿題に取り掛かり、九月一日の登校時間ぎりぎりまで粘る。
 それがどうだ、今年の三十一日は起きて時計を見たら昼過ぎだ。もう終わったと思って諦めるのも仕方ないだろう。そして、夕方になって改めて事の重大さに気付いたという次第だ。
 スマートフォンを確認すると、既に時刻は六時を回っていた。友達からのメッセージに返信し、面倒な用件を済ませる。
『頼む、明日宿題写させてくれ!』
 委員長にメッセージを送ることも忘れちゃいない。写させてもらったところで提出までに間に合うわけがないが、最後の足掻きを見れば担任の当たりも弱くなるかもしれない。
「よし、散歩にでも行くか」
 ということで、後は現実逃避をするに限る。別に、宿題をしなかったからといって死ぬわけじゃない。というか、どうせ終わらない。
 外はすっかり夕焼けに染まっていた。西側だけ赤色に光る家々の狭間、犬の散歩をする主婦の脇を抜けてコンビニに向かう。
 長く溜め息を吐く。担任が明日言う台詞は予想がついている。「受験生なのにだらけている、そんなので合格できると思っているのか」と叱るのであろう担任を想像すると、気が滅入る。はー、面倒くさい。

  * * *

 少年少女は空を仰ぐ。夕日は既に山の向こう側に隠れ、残った深い赤を藍色が押し流そうとする。灰色の雲の底に朱が映る。
 彼らはその景色をぼんやりと眺めながら、ぽつりと呟いた。
「明日、学校行きたくないなあ……」

夕さりて夏を恋う 参加作品】
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