その愛を永遠と呼ぶのなら

 終業のチャイムが鳴ると、途端に廊下が騒がしくなる。ホームルームの終わったクラスからは、部活に向かう人、あるいはすぐに帰宅しようとする人が次々と出てくる。その中に慌てた様子で階段へと向かう女子生徒がいたとしても、誰も気にも留めない。
 そして、三十分もすれば教室からは人も消え、廊下は静寂に包まれる。そこに音もなく教室へと滑り込む女子生徒がいたとしても、誰も気づかない。
 増築された校舎の教室からは中庭がよく見える。開いた窓からは涼やかな秋の風が入り込み、ガラスの花瓶にいけられたリンドウの蕾をささやかに揺らした。


 人気のない中庭の大きな一本杉の下に一人の女子生徒が佇んでいた。落ち着かない様子で忙しなく視線をあちらこちらに彷徨わせているが、その実、女の意識には何も入っていないようだった。
 スカートは風を受けて翻る。紺色のプリーツは風を孕んでほどけ、風が去ると共に元の形に戻る。枝に辛うじて付いている葉がからからと音を立てる。フェンス越しに車の排気音が通り過ぎる。
 女が杉の下に訪れて何分が経ったのだろう。時計の針が5を指す頃、中庭に砂利を踏む音が響いた。
「青山先輩」
 固い表情でセーラー服の裾を握りしめていた女は、瞬間ぱっと顔をほころばせて振り返った。
 その先には詰襟姿の男子生徒が手紙を手に立っていた。用件はわかっていると言いたげな微笑みに、女は心もち顔を赤くして俯いた。
「手紙、読んでくださったんですね」
 その言葉に、彼は先ほどまでの笑みを消してゆっくりと頷いた。女は覚悟を決めたようにぐっと唇を噛み、一歩踏み出す。
「先輩……」
 その口が台詞を紡いだ。
「好きです。付き合ってください」
 風の途切れる一瞬の間。女の言葉に彼は視線を上げたが、すぐに俯いた。首を振り、苦しげに声を絞り出す。
「ごめん。俺は――」
「やっぱりあの人のことを気に病んでいるんですか?」
 女はその答えをどこかでわかっていたようで、声を荒げるようなこともせず、静かに尋ねる。しかし、滲む悲壮感を抑えることは到底できなかった。
 地面に落ちた枯れ葉は、音を立てながら風に流されていく。彼の口からはどんな言葉も発せられない。無言は肯定と同じことだった。たっぷりの沈黙の後、女はどうして、と言葉を落とした。
「三年も経ったのに……。先輩はもう解放されるべきですよ」
 その声はどこか彼を責めるように響く。彼は女に視線を合わせることはしなかった。地面の一点を睨みつけたまま、はっきりと言う。
「俺は彼女を忘れられない。きっと、一生」
 その思い詰めた表情に女は肩を落とした。これ以上何を言っても無駄なのだと悟ったようだ。
「そう、ですか……」
 女は瞳に涙を溜めていたが、ぐっと堪えて顔を上げた。唇を引き上げて必死に作った笑顔は滑稽に見えた。
「最後に、一度だけ抱きしめてください。それで先輩のことは忘れます」
 女の言葉に彼が揺れたのがわかった。そうだね、と応じる声は固い。彼はそのまま女へと手を伸ばし――

 中庭なんて、誰が、、見ているかもわからないのに。

 窓際に置かれたガラスの花瓶がぐらりと傾く。花瓶から水がこぼれる。それは青い軌跡を追うように真っ逆さまに吸い込まれていった。その目標地点は、女の背後。
 彼の手が女に届こうとした瞬間、地面に花瓶が叩きつけられる。ガラスが砕ける音に、女は体をびくりと震わせた。恐る恐る振り向いた表情は恐怖に凍り付いていた。
 粉々になって散らばったガラスの破片。砂の上に横たわるリンドウの花。その周囲の地面の色は濃く変色している。
「な、何……これ」
 事態を理解した女は声を震わせた。白色のソックスはしっとりと濡れている。
「…………」
 彼は何も言わなかった。女を案じることも、事態を取り繕うようなこともせず、穴のあいたような空虚な目で透明な破片を眺めていた。
「ご、ごめんなさい」
 女はそれだけの言葉を残して踵を返す。黒いローファーの音はすぐにその場から消えた。
「俺は――」
 そして、彼はおもむろに視線を上げる。その花瓶が飾られていた場所――三階の教室へと、感情のない黒い瞳が向けられた。
 ぞくり。一瞬、視線が交差したような気がして、歓喜に背筋が震えた。私は彼を見つめたまま、すっと近づく。息が掛かりそうなほどの距離まで。
「あんな女はいらない。私があなたを愛してる。私だけがあなたを愛し続けるんだから」
 優しすぎる彼。その心が今はこんなにも忌々しい。私は刃物を突き立てるようににっこりと笑った。
「ねえ……あなたは私を裏切ったりなんてしないよね?」
「もちろんだよ」
 抱擁は叶わなかった。私の手は空をかく。虚を抱きしめながら、私は触れられない暖かさに身をゆだねた。

 その瞳が私を映さなくても構わない。
 私はあなたを愛し続ける。ずっと。永遠に。

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